命をかけてまで学校に行くことはない。 (2005.9.28)
今年2月に文部科学省主催の「全国不登校フォーラム』が開かれました。
基調講演をした斎藤 環氏が、「なぜ、精神科医の私が、基調講演をするのか疑問です。」と切り出しました。
”不登校は、教育の問題であって、病気の問題ではない。ましてや精神科の。”という投げかけです。
子どもが不登校になると、学校の先生達は、いとも簡単に教育相談やカウンセリングを受けることをすすめます。
教育の課題というとらえ方がないからです。
親は、子どもが心配で、「おなかが痛い。」「頭が痛い。」といえば、病気かなと思い、病院へ連れて行きます。
いろいろ検査を受けても身体に異常が見つからないと、次は、心療内科(精神科)へと。
中には、神頼みで、御払いをしてもらうケースも時々見かけられます。
斎藤氏が、投げかけているのは、このことです。
不登校を、病気だとか、心の問題、精神的なことだと簡単に決め付けて、
カウンセリングや心療内科(精神科)の問題として扱っていると、本当に病気にしてしまうという警告なのです。
おなかが痛くなるほど行きたくないところ。
行こうと思うだけで、頭が痛くなるところ。
登校の時間が近づくと、体が硬直してしまうところ。
学校って、そんなところなのです。
でも、みんなは行っているから、行って当たり前なところ。
行かない自由は認められていないところ。
学校って、そんなところなのです。
行かないと、理由を聞かれます。行けないと原因を聞かれます。
でも、はっきりと言えないのです。
言えば言ったで、結末がわかっていますから。
説得された挙句に、がんばれと励まされることが。
でも、からだが、心が拒否をしてしまうのです。
周りの大人には、それが病的に見えるのでしょう。
この子のために、この子の将来のために、
今のままではだめだ、何とかしなければ、と必死になります。
だから、何とかしなければと、思うのです。
そして、カウンセリングへ、病院へ、心療内科(精神科)へ。
そのような心配は、子どもに敏感に伝わります。
自分は、病気なんだ。
自分は、学校にも行けないだめな人間だ。
自分は、親の期待に応えられないいくじなしだ。
子どもの中に否定的な自己評価が形成されていきます。
周りが一生懸命になればなるほど、なおさらです。
自己否定の中には、成長や発達の芽は育ちにくいものです。
声に出さない不登校の子らの心の声に耳を傾ければどんな言葉が聞こえるのでしょうか。
私の娘は、
「そんなに早く行かないで、私は、もっとゆっくり歩きたい。」
と言っているようでした。
発想の転換を!
ある先生が、言いました。
「学校なんて、命をかけてまで行かなくてもいい。」
そう言われた少年は、中学3年間、不登校の後、定時制高校に進みました。
卒業後、1年間アルバイトをして学費を稼いで、今、東京の専門学校に通っています。
不登校でも、子どもは育ちます。
あたたかささえあれば。