学校(先生たち)との話し合い
( 2006.5.18)
| 1.学校と話し合いをしました | 2.先生たちからの話 | 3.学年主任の先生の話 |
| 4.不登校担当の先生の話 | 5.校長先生の話 | 6.不登校理解・・・学校の限界 |
| 7.子どもにも教育権 | 8.話し合いを終えて |
1.学校と話し合いをしました
2006.5.19
5月17日(水)、小学校にて、我が子学志の不登校に関わって、小学校と懇談しました。
我が家からは、両親が出席し、学校からは、校長先生、担任の先生、学年主任の先生、そして、不登校担当の先生が出席されました。
年度当初のこうした懇談は、初めてです。
昨年度末に、定期的な話し合いの場の設定を要望しておいたのですが、学校がその願いを受け止めてくださっての実現でした。
2年生の9月から学校に行かなくなった我が子は、今年、5年生になりました。
担任の先生たちは、家をよく訪ねてくださり、我が子との関係を深めてくださいました。
我が子は、先生の訪問を喜んでいましたした。
そして、時々、学校にも行くこともありました。
しかし、不登校の子どもへの取り組みが、どのように行われているのかは、まったくと言っていいほど伝わってはきません。
我が子を、どのように理解し、どのような課題を設定し、どのような展望を持ち取り組みがされているのか、わかりません。
つまり、家庭と学校との間で、子どもに対する共通認識がないのです。
また、それを形成する機会がないのです。
意思の疎通や共通認識を欠けば、連携した取り組みは生まれません。
たとえ、すばらしい実践であっても、独り善がりの取り組みで終わります。
そして、先生が替わるたびに、対応の仕方も変わります。
これでは、実践や取り組みの継続や蓄積も出来ません。
子どもも親も戸惑うばかりです。
私は、これまで、校長先生に会うたびに、子どもを真中にした話し合いが出来るように要望してきました。
そうしてこそ、初めて、不登校の子どもに対する教育的な取り組みが生まれると思っています。
今回は、いわば、第1回目の話し合いの機会でした。
その話し合いの模様を、しばらく綴ります。
興味があれば読んでください。
懇談の進行役は、不登校担当のO先生でした。
最初に担任のY先生からの話でした。
Y先生は、4月にA小学校からつつじヶ丘小学校に転任されてきた先生です。
4月学校が始まってまもなく、我が家を訪問してくださり、学志との関係を築いてきてくださいました。
毎日、学校での仕事を終えられてから、家に来られます。
学校での出来事や学習した事柄を学志に話されたり、説明されたりします。
訪問の時間は、20〜30分に及ぶことがあります。
先生は、学志との出会いや、家庭訪問を通して感じられた学志と友達との結びつきの強さを話されました。
私たちからは、先生の訪問やそれを通しての関係作りに感謝しました。
また、5年生になってのクラス替えに際して友達関係などに対する配慮へお礼を言いました。
これまで4人の先生にお世話になり、それぞれの先生のやり方でかかわりをもってもらい、学志との関係を築いてきてもらったこと。
学級の中に、学志の居場所を造ってきてもらったこと。
また、友達とその家族の方に支えられてきたこと。
放課後になると、学校に行っていないことを気にせずに、友達と行き来し、遊べる関係をきずいてきたこと。
などを話しました。
私は、担任の先生には、子どもとの関係を築いていってもらえることを願っています。先生が訪ねてこられるのを楽しみに待っているような関係を築いて欲しいと願っています。
日々の学級での授業や取り組みで多忙な担任の先生にそれ以上のことを要求するのは、無理なことだろうと思っています。
そして、幸い、4年生の先生は若い先生でしたが、自分はこのように学志君と関わろうという考えをもって、1年間接してくださいました。
毎朝、毎夕、欠かさず訪問することが、私が学志君に出来ることです、といって一年間つつけられました。この先生に、これ以上のことを要求するのは、ちょっと酷で、失礼かなと思いました。
今年のY先生も、自分の出来ることを考えて、接してくださっていることが、学志にも私たちにも伝わってきます。
ありがたいことです。
次に、学年主任のH先生からの話でした。
学年としての取り組みについて、つぎのような話をされました。
学年として、学志君が学校に来て友達と関われる支援をしていきたいと考えている。
5年生では、大きな行事に野外宿泊学習があり、それに参加できるような取り組みを考えている。
また、学志君は、野球などに興味を持っているようなので、体育でソフトボールをしたり、土曜日には学年で、タグラグビーをする予定なので、友達を通して働きかけたいと考えている。
学年としても対応を考えてもらっていることはとても嬉しいことでした。
学志が野外学習には行きたいなと思っていることや、先日、クラブが始まる日に、学志は学校へ行こうかなと思ったことなど(結局は行かなかったけれど)学志の様子を聞いてもらいました。
昨年、学志が学校へ行ったのは、10数回です。社会見学、お楽しみ会、写生会などです。3年生のときにも、社会見学やお楽しみ会に行くことが出来ました。学志が学校に行こうと思うのは、なんの縛りもなく、退屈でもなく、細かなことをいちいち指図されないような時間を選んでいっていること、また、この時は、行っても大丈夫だと自分で判断できた時に行っていることがわかります。
学校から、先生から貰う情報の中から、自分で判断し、選びながら、行くかどうかを決めています。学志は、私たちに対しても、「ああしようこうしようと言わないで、自分でどうするか考えるから。」と言います。いわゆる、自立への芽生えです。
沢山の情報を届けてもらうのはいいが、これに参加させようとか、この行事に来させようとかと、考えてもらうよりも、学志が行ってみようかな、行ってみたいなと思うようなことをしてほしい。
また、友達からの誘いも、友達自身が本当に楽しいぞ、と思ったならば自然とその思いは伝わってくるだろうし、学志といっしょにやってみたいならそのようなメッセージを送ってくれるだろうから、友達の自然な気持ちに任せて欲しい。そうでなければ、学志と関係が友達の負担になってしまうことなどをわかってほしいことなどを伝えました。
そして、学志を学校へ来れるようにしようと考えてくださるのなら、学校って、こんなに楽しいところだよ、勉強ってこんなに面白いよ、と学志に感じられる取り組みをしてください、とお願いをしました。
不登校担当のO先生からは、学級や学年の取り組みが、学志君が学校に来れるきっかけになればとして考えている。そして、教室に入れなければ、別室にいて、出られる授業だけ出てはどうか、という提起がありました。また、学校へ来れるようになれば学習も保障できるのですが、という話でした。
詰まるところは、学校に来なければ学力はつけられません。だから、学校へ来れるような取り組みを考えています、ということなのでしょう。
正直言って、がっかりしました。学志なら、別室で勉強するよりも、教室で勉強するでしょう。学志は、勉強が嫌いなわけではありません。みんなと一緒に行動するのが厭なのでもありません。ただ、学校に行けないのです。教室が安心できる場所ではないからです。
学志をもっとよく理解して、方針を立ててほしいものです。
学習にしてもそうです。学志は、学校には行っていないけれども、年令にふさわしい学力や生活力は身につけてきていると思います。読むことも、書くことも、考えることも、掃除もできますし、簡単や料理もできます。そして、友達を一緒に活動することもできます。
ただ、学志は、学校に行っていないし、もちろん授業にも出ていません。ですから、学志は、いわば、自分の努力でこれらの力をつけてきたのでしょう。学校に来なければ、学力がつかないのではありません。
学習の方法はいくらでもあります。学校の授業だけがすべてではありません。学志は、学志なりに、学習をしているのです。
学校へ来れるのを待つまでもなく、学校へ行っていないからこそ、学志の学習や発達を、学校として保障する取り組みをしてもらえないか、と話しました。
これまで3人の先生の話からは、
@担任や友達との関係を大事にしていきたい。A学級や学年の取り組みに参加できるように働きかける。Bそして、学校に来れる機会 を増やしていく。
という、学校の姿勢が伝わってきました。
次は校長先生からの話でした。校長先生からは学志に対する「支援」として、次の3点が示されました。これまでの3人の先生の話のまとめのようです。
@家庭訪問を通じて担任と学志との関係作りを図る。A友達と学志の関係作りを図る。B学習材料を提示していく。
の3点です。
このように、学校から、わが子への対応の仕方を整理して示されたのは、初めてでしたので、率直に嬉しく思いました。まずは、ここが出発点だと思いました。
私は、その3つの取り組みの目的は何ですかと、尋ねました。
人との関わり、コミュニケーションの力を育てていくことです、との旨の、返答がありました。
しかし、これで良しとすることはできませんでした。学志は、これまでも、先生との関係を拒んだことは一度もありません。不登校へのきっかけとなった先生に対しても心を開いていました。そして、時々の担任の先生とのかかわりも、喜んでいました。また、友達との関係は、幼友達や近所の友達が、学校に行く行かないにかかわらず、関わりを持ってくれています。学習にしても、毎日、短時間だけれども積み上げてきました。
私は、学志の状況に応じた対応をお願いしました。
1つは、学級の中に、学志の居場所を作っておいてほしいことです。5年生になって、クラス替えがありました。クラスの半数の子どもたちを学志は知りません。そして、半数の子供たちも、学志のことを知りません。先日、友達へのメッセージを書くときも、友達の顔さえ浮かばず、何を書いていいか迷っていました。そのような状況の中で、学志が学級の中に居場所を持つことはとても難しいことだとは思うけれども、よろしくお願いをしておきました。
2つは、学習の材料です。授業を受けない学志に合った学習教材の提供をお願いしました。先生からの提示であったら、進んでやろうとしている様子も話しながら、より適切な教材をお願いしました。
3つは、学校に行っていなくても、学志は、学志なりに成長をしています。そして今後も成長するだろうから、学校と家庭で連携しながらその成長を見守り、認め合えるよう協力をお願いしました。
学校へ来れるようにするというのは、不登校解決の目的ではなく、将来的な社会的な自立へむけて取り組みが大事だと、いうのが文科省のとらえ方です。学校から示されている方針は、残念ながらその観点が見受けられません。
今回の話し合いで感じたことは、”学校は、不登校の子どもを学校復帰させることを対応の中心に置いている”ということです。
学校復帰を中心に据えれば、その取り組みは、自ずから限定されます。
今回提示された、先生との関係作り、友達関係作り、学習材料の提供などです。
また、学校復帰を対応の中心に置くと、子どもを見方、捉え方もその視点からのものとなります。
先生の訪問でも、学校や学習のことが主な話題となりがちです。
直接的な登校刺激はなくても、話題そのものがその役目を担っています。
そして、それは、子どもの心に、暗に、学校に行けていない自分を意識させているのです。
学志の友達は、友達として遊びに来てくれます。
それぞれの時間や都合で、遊べるときもあれば遊べないときもあります。
それでも、互いに行き来できます。自然な形で。
学校からは、行事や取り組みに合わせて、友達からの誘いかけが示唆されましたが、
それは、学校へ行っている子と学校へ行っていない子という関係を、作り出すものです。
友達だから、一緒に遊びたい、一緒に活動したいという欲求、要求から出た行為ではありません。
自然な友達関係を崩しかねません。
学校へ行っていない子ども達に、どのように学力保障をしていくか。この点は、極めて弱いのではないでしょうか。
先生たちは、授業で使ったプリントや宿題のプリントを届けてくださいます。
しかし、それらは、授業を受けたからこそ意味のあるものです。
学校に行っていない子どもには、授業の過程が欠如しているのです。
学校へ行っていない子どもには、その子どもの状況に合った学力保障の方法が考えられなければならないのではないでしょうか。
授業の延長線上で考えたり授業を家庭に持ち込んだりでは、学力保障は無理があるのではないでしょうか。
学校復帰を視点におく不登校への対応には、学校教育の貧困さと限界が表れています
7.学校に行っていない子どもにも教育権(発達権・学習権等)の保障が必要です。
学志がたとえ学校に行っていなくても、自立した人間として成長してくれることは、親の切なる願いです。
そのために、親として出来ることは何でもやってみようと考えています。
今、学志に、親として、家庭としてしてやれることとして、私は次のようなことを考えています。
1.まずは、家(家庭)が、学志にとって安心して居られる処にしてしてやることです。
・出来る限り家族で一緒に夕ご飯が食べられるようにすること。
・一緒に遊んだり話したりする時間を持つこと。
・学志が、自分で出来ることには、口出しをしないこと。
・家の事で学志に出来ることは、学志に頼ること。
・家族で何かするときは、それぞれの都合や思いを聞いて決めること。
2.勉強、学習について
2年生、3年生の頃には、ほとんど勉強はしませんでした。勉強しようとする意欲もなくしていたようです。
その頃は良く、ダンボールなどで、いろんなものを作っていました。
4年生のとき、担任の先生が、朝夕、訪ねてきてくださりました。その頃から、先生から貰ったプリントを少しずつしては、先生にみてもら っていました。いつか、習慣づいたようです。
今、学志がやっているのは、先生から貰う算数のプリント、漢字ドリルなどです。読むことを習慣づけるのは難しいようです。
学習することは、やはり、人間として成長する上では大事なことだと考えています。しかし、学校に行っていない学志には、勉強しなさ いといっても出来るものではありません。また、学校でするような勉強をさせようとしても出来るものではありません。
学志には、次のように提案しています。
人間として成長する為には、体だけでなく心も知恵(考える力)も必要です。心は多くの人と関わ る中で育っていきます。考える力 をつけるためには、読むこと(多くの知識を得ること)と書くこと(自分の思い考えを持つこと)、そして、計算すること(思考すること)が大 事です。そのために、何をするか、考えてやってみよう。
3.友達との関係
これまで、学志は、学校には行っていなくても、友達には恵まれていました。
学校が早く終わる日などは、必ず遊びに誘ってくれる友達がいました。時には、我が家が、遊び場にもなったほどです。学年が上がる にしたがって帰宅時間が遅くなったときなどは、さびしそうな顔をするときもありました。そんなときには、必ずといっていいほど声をか けてくれる友達がいます。
5年生になって、一段と帰宅時間が遅くなると、遊べなくなるかもしれないという思いを学志は持っています。そんなことを思いながら、 友達と遊べる時間を大事にしているように思います。友達と遊ぶときには、一人でも出来る遊びよりも、かくれんぼや鬼ごっこなど、友 達としか出来ない遊びをやっているようです。
4.体の発達、健康のこと
4年生の終わり、お腹がぷくんと膨れてきたかなと思うときがありました。運動不足かなと思いました。
体を思いっきり動かすということが少ない為、夜には、相撲やレスリングごっこなどをしていましたが、追いつかないようです。学志は、 野球に興味をもつようになっていて、キャッチボールやバッティングを好んでします。親子で時間を見つけては、野球をするようにしてい ます。また、野球をする筋肉を鍛えようと、簡単なトレーニングも少しずつ取り入れています。このごろは、時々兄とジョギングをすること もあります。自分でも、意識して運動しようとしているようです。(ちなみに、学志が野球に興味をもち始めたのは野球のゲームソフトを 買ってからです。)
5.その他、時々、絵を描いたりすることもあります。
学校へ行っていない時間を学志なりにいろいろ考えているようです。
学校へ行っていなくても、学志は、日々を、学志なりに生きて、成長をしています。身も心も。
親は親なりに、学志の成長のために出来ることを考えています。
それは、学校へ行かすためにではなく、学志が人間として自立していけるようにとです。
では、学校は、教育の目的『教育は、人格の完成をめざし・・・」(教育基本法第1条)の実現の為に、学校に行っていない学志のためにどのような手だてを講じてくれているのでしょうか。
8.話し合いを終えて
(2006.6.14)
学校との話し合いを終えて、家に帰る車の中で、お母さんが言いました。
「お父さんは、学校にすごく期待しているんだね。」
「私は、とっくに諦めていたけれど。」
そうではないのです。
私も、今の学校には、ほとんど期待はしていません。
今の学校には、主体的に教育問題に取り組めるだけの力量も裁量もないことをつくづく感じてきたからです。
私が学校に対して、いろいろと意見を言うのは、すべての子どもの発達権、教育権の保障こそが、学校の担っている役割だと考えるからです。
たとえ、学校に来られない子どもであっても、然りです。
しかし、不登校は、個人の成長発達の過程では、一時的な現象ですから、いつまでもこだわりを持つ事柄ではありません。
ですから、不登校は、社会問題、教育問題といわれながらも、個人的な課題としてとらえられがちです。
そして、不登校問題への対応は、個人をサポートするような施策が中心になります。
それは、不登校問題の本質をとらえることなく、現象面の理解しかできないことから生まれる限界です。
(いえ、意図的に行われていることかもしれません。この間、不登校対策には、かなりの費用と人員が使われてきましたが、 それをしても猶、維持しなければならない、いや、遂行しなければならない事柄があるかのようです。)
これまで、学志の担任の先生たちは、それぞれ、自分のできる範囲で、学志との関係を築いて来てくださいました。
しかし、担任の先生の取り組みには、自ずと限界があります。
子どもの発達成長という視点からの取り組みが弱いように思えます。
これは先生たちの姿勢の問題ではなく、政策、施策としての不登校理解、対応の問題が背景にあります。
このような限界の中では、子どもに関わる親と教師ができうる限り協力し合いながら子どもに関わっていくことが求められます。
そして、更には、より大きな視点から不登校問題をとらえ、子どもの発達権、学習権を保障する具体的実践を積み上げていくことが必要と考えます。