先生たちとの話し合いU (8月29日)
その1
8月29日、午後4時20分から、我が子学志のことについて、親と先生達との話し合いをしました。
1学期の振りかえりと2学期の取り組みについて話し合いたいということでした。
出席は、私達両親と校長、不登校担当の先生、学年主任、担任の先生の6人でした。
不登校担当の先生が進行役でした。
1学期の振りかえりとして、担任の先生から次のような話がありました。
1学期は、野外学習を含め4日の出席があった。
野外学習では、友達とうまく関係を持ち、活動に参加できていた。
毎日の家庭訪問を通して、一緒に学習し、会話することができた。
学習課題については、できた事柄を提出していた。算数の理解が優れている。
など。
家庭での様子はどうですか、と聞かれ、次のような話をしました。
学習は、自主的に取り組んでいた。わからないところは尋ねながらやっていた。
植物への水遣り、炊事の手伝いなどやっていた。
自分の気持ちをコントロールする力がついてきたように思える。
友達とも交流し、外遊びなど活発にやっていた。
など。
校長からも野外学習の時の様子についての話があった後、進行の不登校担当の先生が、
担任の訪問と関わりによって学習もできたようですし、友達関係もうまく行ったようですね。また、家族のことを考えて水遣りなどもがんばったようですね。
という「まとめ」がありました。少し違和感がありましたが、話し合いは2学期のことに進みました。
不登校担当の先生から、2学期は、いろいろな行事もあるので、行事を通じて学校へ来られる機会が増えるようにしたい、そのために、担任からも子ども達からも働きかけをしていきたいというような提起がありました。
私達からは、学志の行事についての学志の思いやこれまでの経過や様子を説明して、行事を通しての登校は余り期待できないことを話しました。
校長からは、学志君がどう判断するかだから、先生から、友達からの働きかけをやっていきたいという発言がありました。
すると、不登校担当の先生から、「これから中学校へ進学し、いずれ大人になって行かれるのですが、お家の方は、そのことをどうお考えですか?」との質問がありました。
(つづく)
その2
この質問には、このまま学校に来られない状態でいいのですか! 学校に行かせようとしてはどうですか! という含みがあるのが直感でわかるほどの響きがありました。
私は、
「質問の意味がわからないのですが、もう1度おっしゃってください。」
と聞き返しました。戸惑われていましたが、
「お家では、学志君の自主性を尊重されているようですが、・・・」
ようやく質問の本意が伝わってきました。子どもの好きなようにさせていていいのですか、ということらしい。
私は、次のように私たち親の思いを話しました。
「私たちは、学志が、自分のやりたいことを見つけ、自立していけるように親として応援したいと思っています。」
「小学校は、後1年半で卒業です。その間に学校に行けるどうかはわかりません。その後、中学校に進学することになりますが、中学校 にも行けるかどうかはわかりません。」
「しかし、学校に行っても、行かなくても、学志は、日々成長し、いずれは大人になっていきます。私たち親は、学志の日々の成長を応援 し、成長していけるよう、見守り、支えていくと覚悟をきめています。」
「私たちは、学志が、学校に行かなくてもいいとは決して思ってはいません。行けるようなら、行けたらいいなと思っています。無理やり行 かせようとは思わないが、いつでも行ける環境は作っておいてやりたいし、行ける力は付けておいてやりたいと思っています。そのため に、日常、学志にしてやれることは親として精一杯やっているつもりです。」
「しかし、家庭の力だけでは、学校に行けるものではありません。子どもが学校へ行けるかどうかは、どちらかというと学校の役割が重要 だと思っています。」
すると、校長は、
「当分の間は、今までのようにやって行きましょうか。学志君は、家に引きこもることなく、友達との関係も持てているので、今後もそのよ うに学校として友達にも働きかけて行きたし、2学期も担任を通して関係作りに努めていこうと思います。」
不登校担当の先生も、また、
「先生の訪問と通じて、学習への意欲も出てきて、また、お手伝いなど、家族のことを考えて行動することもできるようになっているので、 このまま見守って行きたい。」
と、話し合いをまとめるようにはなされました。。
校長や不登校担当の先生の話には、どうも、「不登校」という先入観、あるいは固定したイメージで学志を捉える傾向があるのではないかと思いました。また、5年生になってから今日までの学志の成長は、学校の取り組みの成果だと、言われているように思えました。それには、大いに異議がありますので、私は次のように応えました。
(つづく)
その3
「失礼ですが、学志は、閉じこもったり、人付き合いが苦手であったりという子ではありません。
学習に対する意欲もあり、友達とかかわりを求め、一緒に遊びたいという要求を誰よりも強く持っています。学志は、ごく普通の子どもですよ。」
と。そして、
「学志が、学習に意欲を持っているのも、家事の手伝いをするのも、また、友達との関係を作って来たのも、学志が、ここまで成長してきたのは、学志が、自ら活動し、いろいろ試行錯誤をしながら身に付け、作り上げてきたことで、また、幼いころからの友達が、家族で、学志をささえてくださっているからだと、私は思っています。」
「また、私たちは、学志の好き勝手に任せているのではありません。日ごろの触れ合いの中で、学志のがんばりや成長を認めたり褒めたりしながら、次へとつながるように心がけていますし、家事なども、一緒にやりながら、教えたり、任せたりしています。友達とのことについても、何気ない話の中で、そっと褒めたりしています。私たちは、親として、してやれることは精一杯やっているつもりです。」
そこで、今度は私の方から、質問しました。
「先生たちは、今の取り組みで十分だと考えておられるのですか。」
と。
校長からは、
「そのように思っています。」
と返事が返ってきました。
私 「担任の先生が、毎日のように訪問して下さり、学志とのかかわりを持ってくださるのは、とても嬉しいことです。しかし、それで、学校の取り組みが十分だと言われるのは、納得がいきません。」
校長「担任の先生の訪問は、今は、担任との関係作りが大事だという、学校としての考えの上でやってもらっています。」
私 「関係作りだけで十分だと言われるのですか。」
校長「そう考えています。」
私 「学志の学習権の保障については、どのように考えておられますか。」
校長「・・・」
校長「不登校担当は、特別支援教育も担当していて・・・」
「今、市では、訪問して関わりを持つ人材を配置していますか、お望みですか。」
私 「そのようなことは、今まで1度も聞いたことがありません。」
校長「もちろん、教育研究所の方でやっていることで、手続き的なこともあって、今すぐというわけにもいきませんが。」
私 「学志が、どう判断するかですが、学志は、そのような関わりを必要としているとは思えません。」
私 「誰かが、家に来て、勉強を教えてほしいとか、担任の先生に、もっとかかわりを持ってほしいとかいっているのではありません。人の配置が困難なのは十分承知しているつもりです。」
「以前にも言いましたが、授業に参加していない子に、授業に合わせたプリントや宿題を出されても授業を受けている子とは同じようにはできないのではないか。その子に合った学習課題なり教材が必要なのではないですか。」
校長、担任の先生に向かって、
「授業で使っているプリントや宿題をもっていっているのか。」
担任の先生が頷く。
私 「担任の先生は、よくやって下さっている、と思っています。担任の先生の負担を増やすというのではなく、学校として、どう取り組むか、どう学習権を保障するのか、知恵を出し合ってほしいとお願いしているのです。」
校長「・・・・」
私 「学校に来ていない子、来られない子の学習権、発達の権利をどう保障するかという、学校の役割について言っているのです。」
校長「どのようなことができるか考えて見ますが、良い考えがあれば、聞かせてください。」
私 「その子どもの生活の条件を生かした教材作りなどが考えられます。家庭という条件を生かした学習課題の設定、教材作りなどが考えられるのではないですか。学校や教科書から離れて考えれば、工夫ができると思いますが、どうでしょう。先生たちの方がそういうことには長けておられると思うのですが。」
(つづく)
その4
話し合いは、1時間少しかかりました。学志の1学期の様子については交流できましたので、話し合いは一定の意味合いがあったと言えます。
しかし、学志の理解については、考え方の違いが依然としてありました。これは、学志の日々の様子、成長の捉え方の程度を反映しているように思えます。更に、大きな要因としては、不登校の理解の仕方にあるように思えます。
不登校担当の先生の「これから中学校へ進学し、いずれ大人になって行かれるのですが、お家の方は、そのことをどうお考えですか?」という発言に見られるように、学校の対応は、不登校の子どもを学校に来させるための対応であるということです。今、学校として、担任の先生との関わり、友達との関わりも学校へ来させるための条件作りといえるのかもしれません。
それに対して、親としては、学校に行けない子の、日々の成長をどう見守っていき、応援していくかを課題としています。そうした視点を持つことによって、日々の変化や成長に気付き、日常の生活や活動を応援し、励ますことができます。
この視点の違いが、学志の理解の違い、関わり方の違いとなって現れているように思えます。
学志は、今日も、自分の時間を過ごしています。
日々同じようなことを繰り返しているように見えても、確実に成長しています。
それを応援できる取り組みが、(子どもに一番身近な存在としての)親と先生が共同してできるといいなと思います。
少なくとも親は、そういう関わりをしていきたいものです。
(おわり)