悲しい事件から学ぶこと その2
再び、東京・世田谷・中学生 放火事件
3月9日の東京都世田谷区放火事件に関して、東京地検は29日、放火の非行事実で中学2年の長男(14)を東京家裁に送致しました。東京家裁は観護措置を決定し、長男は東京少年鑑別所に収容されました。
このことを受けて、NHKとテレビ朝日は、報道番組内で特集を組みました。しかし、その内容は、これまでの警察情報や取材を元にした事件の経過がおもで、NHKは教育評論家の尾木直樹氏のコメントを、そして、テレビ朝日は、同じく河上亮一氏にコメントを求める程度で、事件の本質に迫るものでは、到底ありませんでした。しかし、両氏のコメントは、事件を考える上で大事な点を指摘しているといえます。
尾木直樹氏は、少年は、2回サインを送っていると指摘します。1つ目に家庭内での暴力、2つ目に転校した学校での積極的な登校、学習姿勢を挙げています。それらのサインを受け止め、対応ができていたらと指摘します。
河上亮一氏は、事件には直接触れませんでしたが、不登校について次のような指摘をしています。
20年程前から、学校が大きく変化してきて、誰でもが登校できる場所でなくなってきた。不登校の背景には、学校の変化がある。不登校の解決を学校へ行かせることだと考えるのは間違い。
この報道の後、マスコミは、この事件を取り上げてはいません。
事件の悲惨さと、少年の非行事実だけが強調された報道でした。
なぜ少年は、このような事件を起こしたのか、少年を追い込んでいったものはいったいなんだったのか。
知りうる情報は、わずかだけれども、そのわずかな情報をもとに考えてみましょう。
曖昧にしておけば、また、同じ悲劇が生まれるでしょうから。敢えて、間違いを恐れずに。
1.事件の概要と事実経過
東京・世田谷・中学生 放火事件 (悲しい事件から学ぶこと)その1 を参照
2.事件の背景(不登校との関連)
@不登校以前
*小学1年の時、両親が離婚
*中学では野球部で活動
A不登校が始まった頃
*野球部でのいじめ
*友達とのトラブル(2004年9月)
学校は、「いじめやトラブルは友達間で解決を図った。」と説明している。
この直後から、少年の不登校は始まっている。
B家庭内暴力の頃
*母親は、学校へ行かそうとする。
*そんな母親への暴力が始まる。(2005年12月に最悪な状況)
C児童相談所の保護の時期
*母親が警察へ連絡。(2005年12月)
*東京と児童相談所に保護される。(2006年1月まで)
D父親に引き取られた頃
*2006年1月末 父親に引き取られる。
*転校する。
*積極的な登校、休み時間にも学習。
E事件の前
*遅刻が始まる。
*父親の叱責
3.事件の呼び水(少年を追い込んだもの)
少年が事件を引き起こすまでに、少年を追い込んだのは、いったいなんであったのでしょう。
犯行の動機は、父親や母親への恨みや憎しみだ、と指摘されています。確かに、家に火を放つ直接の動機はそうであったかもしれません。
しかし、それほどまでに、親子の絆や信頼関係を壊してしまったのは、どうしてでしょう。
限られた情報の中でですが、気になる点がいくつかあります。
(1) まず第1に、少年の不登校が始まるきっかけとなった、友達とのトラブル、いじめのことです。
学校の説明によりますと、いじめやトラブルはあったが、友達間で話し合い、解決した、とのことです。
では、なぜ、その後、少年は、不登校になったのでしょうか。
普通、友達どうしの諍いやトラブルは、友達どうしの間で仲直りする場合がほとんどで、学校や先生が指導するものではないでしょう。
しかし、この少年にかかわるいじめやトラブルの場合、学校や先生が間に入り、問題の解決を図らなければならない性質のものだったことがわかります。
その後、少年が、学校に行けなくなったことからして、少年の納得のいく解決でなかったことは明らかです。
いじめへの対応の場合、このようなことが往々にしてあります。
私のところにも、同じような経緯で不登校になったという子ども達の相談や訴えが寄せられています。
表面上は、仲直りができたとしても、いじめによって子どもが受けた痛手は、そう簡単には、拭い去ることができないようです。
むしろ、表面上の仲直りは、人間への不信へとつながる場合が多いようです。
ひどい場合には、先生の目の届かないところでのいじめへとなっていく場合も少なくありません。
いじめへの指導は、指導した後の対応の方が、より重要なのです。
この少年の場合、不登校になっていったのですから、尚更です。
この点、学校の対応はどうだったのでしょう。
(2) 2番目に気になることは、少年が不登校になった後の対応です。
学校や先生は、少年とのかかわりは持てていたのでしょうか。また、母親との連携はどうだったのでしょう。
報道の内容によれば、家庭内の暴力は、中学2年生の後半へとかけてエスカレートしていきますから、この親子2人の葛藤であったことが窺い知れます。
子どもが不登校になった場合、親なら、だれでも、どのように対応すればいいのか困ってしまいます。
そんな時、よほど親しい友人や理解のある人にしか、親としては相談できないものです。
ほとんどの親は、孤立して悩んでいるのが実情です。
せめて、学校の先生が、力になってくれると嬉しいのですが、なかなかそうはいっていないようです。
中には、親と一緒に考えてくれる先生もいますが、多くの先生の場合、学校へ来させるための指導が中心になっているようです。
家庭訪問をしたり、連絡をしてくれたり、中には、勉強を教えてくれたり。
親は親で、親心として、子どもには、学校に行ってもらいたいものです。
この少年の場合、母親が、学校へ行くことを言いつづけたようです。
学校に行けなくなた少年に、学校に行けと言うことほど、残酷なことはありません。
行こうとしても、行けないのですから。
なぜ、学校にいけないのか、うまく説明できる不登校の子どもは、ほとんどいません。
学校へ行けと言われたら、押し黙るしかありません。
どんどん精神的に追い詰められたら、どんなにおとなしい子どもでも、自分を攻撃する相手に立ち向かうことだってありうるのです。
学校に行けない子どもに、学校へ行けと言うことは、
親は親として、子どものことを思って、言っているとしても、子どもにとっては、これほど残酷な言葉はありません。
そんな時、この少年のことを、親に次に理解できる立場にある先生が、親の相談相手になり、親と一緒にこの少年に関われたならと思うのですが、どうでしょう。
もし、先生に手だてがわからなかったら、地域の親の会の存在を教えてもらえたなら、不登校の少年への理解はできたでしょうに。
残念でなりません。
(3) 児童相談所は、少年が不登校になり、家庭内暴力をエスカレートさせてきたことから、少年を引き取る父親との間で、少年理解や少年の不登校への対応の仕方などを、きっちりと 話し合っておく必要があったのではないでしょうか。少年が、カウンセリングを必要としているような状況であったのなら尚更です。
父親の対応については、何をかいわんや、です。
でも、このような対応が、今も尚、多く見られます。
少年は、父親との新たな環境のもとで、頑張ろうとしていたことは、積極的な登校の仕方を見てもわかります。
自分を変えるチャンスと思ったのかもしれません。
少年にとっては、登校していることが頑張っていることの証だったのでしょう。
しかし、父親にとっては、登校することがあたりまえのことで、顔を見るたびに、学校へ行けと叱責が飛びます。
学校へ行け、という言葉が、ここでも引き金になっています。
母親の場合は、家庭内暴力へ、父親の場合は、放火へと。
それは、母親との信頼関係を壊し、父親と関係を壊す働きをしたのでした。
ここでも、少年の不登校に対する理解が、父親にできていたら、と思わずにはいられません。
(4) 不登校が、社会問題化して20年が経ちますが、その間多くの悲劇を生んできました。
子どもを理解せず、力ずくで学校へ行かせようとしたり、不登校を病気だとして、荒療治をすることが、後を絶ちません。
それらの行為が、どれほど子どもの心を切り裂き、子どもの尊厳を傷つけ、子どもの成長を阻害するものであるか、
教訓がまったく生かされていません。
不登校を、その子個人の問題とし、家庭の問題ととらえている限り、このような悲劇はなくなりはしないでしょう。
河上亮一氏が指摘した”20年前から、学校が、どんな子でも登校できる場所でなくなった。”という点が気になります。
不登校が社会問題化するのが20年程前からです。
学校が子どもの居場所でなくなったのです。学校が、育ちの機能を失ってきたのです。
そして、今、進んで子ども達を排除する学校も現れてきています。
不登校を理解するとき、学校に行くことにこだわっていては、子どもの心を理解することはできないのかもしれません。
(5) 新たな学校が必要なのかもしれません。