"教育のつどい2006"「子どもの人権と学校・地域・家庭」分科会に参加して 

2006.8.17〜21


 憲法・教育基本法改悪の動きが強まり、新自由主義的な競争と選別の「教育改革」が進行する情勢の下、「自分を大切にし、親やきょうだい、まわりの人を大切にする心やさしい子どもに育ってほしい」「平和な世の中で子どもを育てたい」という願いを集めて「みんなで21世紀の未来をひらく教育のつどい−教育研究全国集会2006」が、8月17日から4日間、猛暑の埼玉の地で開かれました。全28分科会と8つの教育フォーラムには、約400本のレポートが提出、報告され、延べ8000人の参加者によって熱い討議が行われました。

「子どもの人権と学校・地域・家庭」分科会でも、子どもの権利条約を生かす活動の課題と展望を明らかにし、子どもの権利の発展につながる実践的・研究的討議が活発に行われました。

1.子どもたちをめぐる状況と子どもの権利条約

 報告と討議の中で、より深刻になっている子どもたちの状況が明らかになりました。ある学校では要保護、準要保護家庭が全家庭の半数を占めるなど経済的格差の広がり。小・中・高校、どの学校からも出された低学力問題。自信の無い子ども、将来の夢や希望を持てない子ども、自己肯定感のない子どもたちのことが話され、先生に抱きつきスキンシップを求める中学生や高校生、人との関係作りの苦手な子どもたちの様子が語られました。まさに、学ぶこと、成長することに苦悩する子どもたちです。

 この苦悩をも、子どもの権利条約は、子どもたちの意見表明(view)として捉えます。そして、子どもたちの思いを大人たちが真剣に受け止め、向き合うことを求めています。なげやりで暴力的な子どもたちが「かけがえのない命」の授業を通して自己肯定感を育み、夢を育てていった大阪の細川レポート、学校参加(三者協議会)や自主活動を通して、主体性を育て、共同する力を発揮し、通学の足「貴志川線」存続のために活動した高校生の取り組み(和歌山の藤田レポート)は、まさに、子どもの権利条約の実践といえるでしょう。

 国連子どもの権利委員会への「政府報告書」は、「日本の子どもたちには権利が保障されている」と描き、子どもの権利条約の実現に極めて消極的です。そして、少年法の「改正」や学校教育法の「改正」の動きは、警察による子どもの監視、子どもたちへの厳罰主義、ゼロトレランス(寛容ゼロ)を強めています。これらは、憲法・教育基本法の精神を蹂躙するばかりか、子どもの権利条約とは相容れないものです。「子どもの声を国連に届ける」活動に取り組んできた川村さんは、そのレポートの中で、「どんな小さなことでも悩んだり考えたりできる時間、そして、その先の見えない時間、一緒に居てくれる人、苦しんで悩む姿を許してくれる人、私たちは、そんな『誰かの存在』を求めていた」と綴っています。子どもたちは、そんな大人を求めているのです。

2.政府・文科省による「人権教育」政策

 文科省は、「人権教育」とは「人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動」とし、それが、「具体的な態度や行動に現れるようにすることが、『人権教育』の目標」だといいます。「人権擁護審議会」においては、人権の規定でもっとも肝心な公権力や社会的権力と国民との関係を審議の対象外とし、専ら、国民相互の関係のみを審議の対象としました。文科省のいう「人権」とは「人権侵害問題」の「人権」ということになります。そして、「人権侵害問題」が起こるのは、国民の「人権認識が低いからだ」とし、「人権尊重の精神を涵養しなさい」というのです。「人権教育」が「道徳教育」となっていく関係、仕組みがここにあります。

 これに対して、京都の梶原レポートは、中学校の社会科学習の中で「子どもの権利条約」を創造的に教材化したものです。子どもたちは、学習した事柄を生かして、社会や自分の生活を見つめ、クラスで意見を交流しながら更に視野を広げ、考えを深めていきました。香川の濱田レポートは、障害者理解教育を「道徳教育」的な扱いから脱却させる意欲的な実践でした。また、和歌山の竹田レポートは、特別な教育ではなく、子どもたちを信頼し、子どもたちの成長への願いに応える教育実践こそが子どもを育てていくことを力強く示すものでした。ここに登場する子どもたちは、決して、人権認識の低い存在ではなく、学習の主体、権利の主体として、成長発達しようとする子どもたちでした。

3.分科会を終えて
「教師に自由を保障すれば、こんなにすばらしい実践ができ、こんなに生き生きとした子どもたちの姿が見られる」との声が聞こえてきました。そのとおりだと思います。しかし、報告されたどの実践も、大変困難な状況の中で取り組まれたものです。改めて、敬意を表します。
本分科会は、「人権と教育」と「子どもの権利条約」の2つの分科会が合同して5回目を数えます。今回、「同和教育」「解放教育」絡みのレポートが姿を消しました。教職に就いたときから「同和と名のつく教育」の廃止を求めてきた私にとって、ある意味、感慨深いものでした。  (分科会司会者 野中 博善)