寝屋川事件に関する京都新聞上の尾木直樹氏のコメントについて


「教員殺傷の少年 鑑定留置決定」の記事がありました。
その記事の中に、尾木直樹氏のコメントがありました。少年の行動や心理面に触れています。記事は、尾木氏が「学校生活が短く、社会力や人間力が小学生レベルで止まっていて、社会的には"引きこもり"の部類に入る」とし、「そうした少年にとって受験シーズンは荒れやすい時期」と指摘。「身近な人間である親か先生に矛先が向かいやすい。」と話したとあります。

この内容には、少年の心理や行動を少年に寄り添って理解しようとするような姿勢を見せていますが、果たしてそうでしょうか。

尾木氏は、社会力、人間力という言葉を使っています。○○力は最近よく使われる言葉ですが、社会力とはどのような力なのでしょうか、人間力とは何なのでしょうか、分かっているようで意味は不明なのです。そして、その社会力や人間力が、「学校生活が短くて、小学生レベルで止まっている」とするならば、社会力や人間力は、学校生活の中でしか身に付かないものらしい。この少年の場合は、小学6年生の頃にも不登校傾向があり、中学2年生から不登校になったといわれていますから、尾木氏はこの点を指摘しているのでしょう。ならば、小学校の6年間では小学生レベルの社会力、人間力が身に付き、中学生では中学生レベルの社会力、人間力が身につくということらしい。しかも学校生活を経験することによって。本当にそうなのでしょうか。社会力、人間力という今はよく分かりませんが、仮に、社会的自立として考えてみるならば、学校へ行っていなくても、できることではないでしょうか。多くの事例があります。

尾木氏は、学校生活が短い子ども、つまり不登校の子どもとし、その子どもたちには社会力、人間力が育たないという短絡的な図式で説明しています。あまりにも根拠のない無分別なものとしか言いようがありません。さらには引きこもりと結びつけ、事件の動機背景を受験シーズンやその矛先を説明しています。何をかいわんやです。

尾木氏が、寝屋川で現地調査や取材をした上で、ある程度の資料を検証の上で発言をされているとは思えません。私たちには、少年や事件について、テレビのニュースや新聞の紙面においてしか知ることができません。しかも、それらは、警察発表に基づくものがほとんどでしょう。私たちには、判断する材料が極めて限られています。ですから、事件についての判断も慎重さが必要だと思います。

新聞やテレビの報道の中からも、少年の心理の一端は垣間見ることができます。少年は、「いじめられていた。」「いじめにあったとき助けてもらえなかった。」と言ったといいます。先生や同級生は、いじめはなかったといいます。少年がいじめにあったとする6年生の時期も同級生は、一番楽しかった時期だと言っています。しかし、「授業中、少年が居眠りをしていて、先生に注意され、みんなが笑ったこともあった。」という同級生もいる。警察は、先生や同級生の言い分や押収した日記などから、いじめがあったとはいえないとしました。果たして、そういえるのでしょうか、いじめられたかどうかは、本人がどう感じるかのことですから、他の人の言い分から、あったかなかったは判断できないのではないでしょうか。

私自身、もう15年も前でしょうか、5年生を担任したとき、ある子が、授業中に居眠りをしました。周りの子らは、「先生、○○チャン、寝てるで、叱って。」といいました。「えっ」と言った私に、子どもらは、「だって、前の先生は、いつも寝るなと叱っていたで。」その子は、勉強が難しくて分からず、いつも難しい授業を我慢し、じっと座っていたのでした。そして、つい眠くなってしまうのです。その居眠りがいつも批判の対象になっていました。私は、「○○ちゃんの眠くなる気持ちがよく分かる。みんなも、難しい話をじっと聞いていたら眠くなるやろ。わかってやって。」といったら、子どもたちはきょとんとしていました。居眠り一つ、先生の注意一つが子どもらの人を見る目を作ります。いいようにも、悪いようにも。

だから、警察発表を基にしてあれこれ判断するのは注意が必要ではないでしょうか。その後、少年は、「なぜ、こんなことをしたのか分からない。」など動機が不明とし、精神鑑定云々と言われていますが、思いつめた行動も実行した後に振り返ってみると説明が付かない場合もありますし、また、自分の動機を否定されてしまったら、説明しようがない場合もあります。少年の思いを受け止めることから出発しなければならないのではないでしょうか。警察は、あくまでも捜査機関であって、動機と証拠を固めればいいのでから。

尾木氏は、上記のコメントの前に、「事件を起こした時点で自殺したのと同じ。唯一の目標である大学受験を断念せざるを得ない状況を自ら作ったのだから。」と述べています。これと同種の発言が事件直後のNHKの日曜討論でもありました。少年の切羽詰った精神状態への尾木氏の理解です。ならば、そこから、この少年の心理や行動を考えるのが妥当なのではないでしょうか。それへの言及がないまま、(いや実際はされていて、新聞が取り上げていないだけかもしれないが。)上記のコメントへ到るのはうなずけません。

不登校になったあとの少年の行動に、私は、懸念を覚えます。

(ここからは、再検討を要する)

少年は、大検を受け、合格し、大学受験のために塾に通いました。中学2年生からの不登校の子らが追い詰められる状況がうかがえます。すぐに高校受験を控え、ゆっくりと自分を見つめる時間が持てず、周囲から進路をどうするか迫られます。学校からだけではなく、家族からも。意識的に、無意識的に。そして、勉強することが、周囲の期待に合わせ、安心させる手立てとなります。そしてその状況の中で時間が経過していきます。自分を見つめることなく、周りの思いに合わせながら、自分への圧力を乗り越えることもできずに、心は今も、満たされないままに。抜け道がなくなっていく。

自分が、大事だと感じられず。自分の存在感を感じられず。自分がかけがえのない存在だという周りからの愛を感じられず、少年は、17歳になったのではないでしょうか。
賢く、明るく、おとなしい少年でいたのではないのでしょうか。