学力低下と「教育改革」
わが国の子ども達の学力低下が指摘されて久しい。現行の学習指導要領の実施に当たっては更なる学力低下が危惧された。
そして、それは、昨年、IEAやOECDによる国際学力調査・比較によって実証された。特に、読解力の落ち込みは深刻であった。それらの調査では、また、学力の二極化が明らかになった。
この結果は、多くの国民に衝撃を与え、マスコミも大きく取り上げた。
学力低下の原因を子ども達の学習意欲の低下、家庭学習の少なさに求めるとともに、学校5日制と授業時間数の削減にもとめる論調がほとんどであった。
そして、文部科学大臣は、慌てふためき指導要領の見直しにまで言及するほどであった。
学力低下を克服する方法として、授業時間外の読書や計算学習。そして「詰め込み教育」の勧めもあった。しかし、これらの方策は、すでに、各学校で0時間目、7時間目の授業として行われているものである。
「3割の子が理解できればいい。」(国立教育政策研究所関係者)という基準で、学習指導要領は編まれている。
小学校の漢字の学年配当と系統性、算数の系統性と時間配分だけを見ても、明らかである。これまでは、子どもや先生たちの努力や工夫で学力を補ってきたのである。
しかし、指導要領の改悪と時間の削減によって、補うこともできなくなってきているのが現状である。
二極化の問題は、深刻である。
学力の二極化とは、よくできる層とできない層に大きく二分することである。できる層は、塾などによって学力の底上げを行っているという。
学校だけでは、学力はつかないということだ。
文科相はあわてたが、今日の「教育改革」の推進者たちにとっては、目論見どおりにことは進んでいることになる。
推進者の一人、前教育課程審議会会長の三浦朱門氏は、次のように言っている。
「学力低下は予測しうる不安というか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張って行きます。」
「平均学力が高いのは、遅れている国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てる。日本もそういう先進国になって行かなければなりません。それが、”ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけのはなしだ。」(斉藤貴男著・「機会不平等」)
そして、中高一貫校の開設、スーパーサイエンススクールの設置。教育の規制緩和による株式会社の学校経営。すでに、「エリート」教育は推進されている。
小学校の段階から競争を強いる一方で、公立小中学校では、すでに、できる子はできる子なりに、できない子はできない子なりに、分に応じた教育をという「習熟度別授業」授業が推進されている。
これが、今日の「教育改革」「ゆとり教育」の姿です。
学力低下に対する国民の不安を無視するわけにもいかず、批判をかわし、目をそらすためのあれこれの「改善」はされるだろうが、その基本的な政策は改めることはないでしょう。
どの子にも真の学力を保障するために必要なことは、
1.子どもの発達に即した科学的系統的に考えられたカリキュラム作り。
2.学びやすい条件作り(25人学級、教室設備の近代化・充実)
3.先生たちの力量が発揮できるための条件整備(人員増、研究時間の保障)などではないだろうか
企業の人材育成のための機関としての学校から、子ども達の発達を保障する学校へと日本の学校は変わっていかなければならないと