中央教育審議会に中山文科相「ゆとり教育」見直しを要請


2月15日、中央教育審議会が開催されました。地方代表の委員を欠いたままの不正常な出発です。今回の中教審の主なテーマは、義務教育費の国庫負担制度のあり方の検討と「ゆとり教育」の見直しです。義務教育費国庫負担制度の見直しとは、教育内容への縛りは国・文科省が持ちながら、人員や施設に関しては地方へ権限を移譲するというもので、義務教育への国の責務を放棄するものです。それは、中高一貫校やスーパーサイエンスハイスクールなどのエリート教育には資金を出すが、その他大勢の教育は安上がりで、という道を進むものに他なりません。教育基本法に示されているとおりに、国や行政は、どの子もが、安心し、安全に教育が受けられるように、義務教育無償を維持し、教育条件の整備に万全を期すことをはっきりと表明することこそ肝要です。教育を規制緩和や経費削減の対象にしては、国家百年の計は成り立ちません。
 「ゆとり教育」の見直しについては、本ホームページの「子どもと教育」の項「学力低下と教育改革」を参考にしてください。学力低下への国民の不安感を払うために”見直し”を打ち出していますが、、それは「授業時間の確保」に視点が置かれているようです。「総合的な学習の時間」を見直して教科学習に当てる。夏休みなどの長期休暇を見直し、休み中にも土曜日などに授業を行う(名目は補習授業や勉強会等か?)など。これらは、批判逃れの小手先の対応でしかありません。
 学力低下の根本要因は、授業時間にありません。学力の二極化が示しているとおり、今日の学校教育では、学力保障はできないのです。それは、どの子にも確かな学力を保障するための「カリキュラム」が歪んでいること。そして、小規模学級や教員増、施設設備の近代化などの条件整備の遅れに問題があるのです。その点の抜本的な改革抜きに学力保障は無理でしょう。
 中山文科相は「優秀な人は自分で勉強するが、普通の子どもたちは『勉強しろ』と言わないとやらない。」と述べました。これが、教育政策に責任を持つ人の子ども観、学力観です。この人たちの下では、まともな教育は行われないでしょう。学校が楽しくて、勉強がよく分かれば、勉強することが楽しければ、誰もが進んで勉強します。その条件整備をするのが国の責務です。「優秀な人」は塾や家庭教師の下に何時間も勉強させられている実態を文科相は知っているはずなのに。