それでも進む競争と選別の教育改革
子ども達の学力低下が、センセーショナルに報じられました。中山文部科学大臣は大慌てで学習指導要領の見直しを言い出しました。
中央教育審議会では、義務教育費に関する事案と合わせて学力保障が大きなテーマになるといわれています。
学力低下の実態は、学力の2極化にあります。
これまで、日本の子どもたちは、まがりなりにも、「できる、できない」という、どちらかに偏ることなく、国際比較上、平均的に学力が高いと評価されてきました。
しかし、今日の学力低下は、中間層、つまり、平均的な学力を持つ子どもたちが減り、下位層、つまり、学力がついていない子どもたちが大幅に増えたことによるものです。
教育社会学者らの研究グループによる学力調査によると、学力の上位層の多くは、塾通いによって学力をつけているそうです。また、学校での勉強だけでは、平均的な学力さへ身につかない状況が明らかにされています。
つまり、今日の教育課程を含めて学校教育制度そのものが、すべての子どもに確かな学力を保障するという仕組みになっていないということです。
すべての子ども達の学力が、押しなべて低下したのではなく、学力の上位層は、確実に高学力を身につけています。できる子は、できる子としてどんどん学力をつけていっています。しかし、できない子が、それ以上に増えているのが実態です。
今、学力低下を引き起こしたとして、「ゆとり教育」が批判されています。学習内容を削減した週5日制と総合的な学習の時間の導入によって教科学習の時間を減らした、として。
なるほど、と思ってしまいますが、果たしてそうでしょうか。「ゆとり教育」の根底に流れる哲学に目が向けられていません。
ですから、長期休暇の見直しによる時間確保や、発展的教材としての削減分の復活のような対応しか出てこないのです。
「指導要領は、3割の子どもたちができることを目標に作られている。」これは、10数年前の国立教育研究所の教授が言った言葉です。
「1%のできる子が子の国を引っ張っていってくれる。非才無才はただ実直な精神を養って行けばよい。」「これまで、できない子のために注いできた力を、これからは、できるこのために使って行く。」これは、今の指導要領を作った中心人物、前教育課程審議会会長の三浦朱門氏の言葉です。
指導要領ができる子に焦点を当てて作られているのです。学力低下は、文部科学省によって意図的に作り出されているのです。つまり、国策によって。
「ゆとり教育」とは、その実態は、「エリート教育」なのです。三浦氏自身が言っています。「エリート教育とは言い難いのでゆとりきょういくといっている。」と。
そして、「ゆとり教育」「教育改革」と言いながら進められているのは、亀岡でもすでに取り組まれている、「習熟度別授業」であり、中高一貫校やスーパーサイエンス校などのエリート校の創設であり、株式会社による学校経営であり、私学によるエリート小学校の新設であり、教員評価や学校評価制度の導入などです。
そして、今日、激しい競争と選別の教育情況の中で、隆盛を極めているのが、塾や予備校などの教育産業なのです。
学力低下が投げかけている問題は、憲法と教育基本法が一人ひとりの子どもたちに厳然と保障している教育権の根幹に関わる事柄なのです。
中山大臣に、そこまでの見識はあるのでしょうか。小手先の見直しにならないよう望みます。